- 鎌倉と大佛 -
 
                           長野県理容生活衛生同業組合
                            佐久支部臼田地区 油井茂雄
 
役員任期終了の慰安旅行で、バスのガイド嬢が「大佛前バス停は駐車のゆとりが無く、拝観希望者を一旦降ろし、バスがふたたびここに戻ってくるまでの間に拝観を済ませてください」と希望者を確かめる問い掛けに、一行四十余名が思案?の瞬間、大きな声が上がって曰く「こんな雨の中を大佛を見ても仕方が無い出発だ、出発だ」と。雨は秋霖であった。
 声の主はアルコールを大分と聞こし召されたらしく、なかなか気合が篭っていた。咄嗟の緊張感による沈黙が続いたまゝ、遂に大佛の前を通り過ぎる羽目になった。
 世の道すがら、わけのわからないことの出会いが無いわけでもないのだが。
 私は自分の卑怯な?沈黙者としての嫌悪感から、翌年一人旅を計画して、大佛を訪ねた。それ程の信心があるわけでもないが、余塵まがいの身づくろいもしてみたい。
 ときは五月。野山は一望の緑。彼の日の肌寒い秋霖とはうらはらな五月晴れの日であった。
 その青空を背景に露座の大仏は磐石の重さで眼前におわした。然も全身これ、みごとな緑青の彩りを纏っていた。
 与謝野晶子は大佛拝観の折「・・美男におわす・・・」と詠んでいる。この晶子の情熱を私は納得した。
 折角に来た鎌倉、建長・円覚・長谷と好奇心満々に訪ね廻ったが、特に円覚寺の山門は、夏目漱石の作品を通して、なつかしい思いの一齣としてふり仰ぎ見た。
 漱石がこの円覚寺に参禅したことがあって、後年の作品の中に、その体験を取り入れたのが、「門」の一作であった。
 友人への裏切りの悩みを持つ作中の主人公「宗助」は、心の救済を求めて参禅するのだが、解脱の糸口も見出せぬまゝ禅寺を去る日が来て、この山門に立ち尽くす場面がある。
 「宗助は・・・丁寧に礼を述べて、又十日前に潜った山門を出た。甍を圧する杉の色が、冬を封じて黒く彼の後ろに聳えた」。と。
 愛読止まない漱石の、その山門を仰ぐことが出来たのも、大佛拝観の機会を逃したお陰かも知れない。彼のアルコール氏と、大佛に感謝。 
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No.1 支部長挨拶 No.2 鎌倉と大佛  No.3 子供の自由と不審者  No.4 私のダイエット作戦
No.5 執念